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共産主義の経済史――マルクスの思想からソ連の計画経済、中国の改革開放まで

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更新日:2026-10-31

19世紀のヨーロッパでは、工場の煙突が増える一方、都市には賃金だけを頼りに生活する人々が集まっていた。工場の所有者は機械を増やし、商品の生産量を伸ばすことができた。しかし仕事を求めて工場へ来た人々には、土地も機械もない場合が多かった。

1848年、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが、この社会の対立を出発点にした小さな冊子をロンドンで出版した。政治組織から綱領の執筆を依頼されていた二人がまとめた『共産党宣言』である。

その約70年後、1917年のロシア革命を経て、世界初の長期にわたる共産党支配の国家が成立する。ソ連は工業化を推し進めたが、農業集団化や政治的抑圧で多数の犠牲者も生んだ。さらに20世紀後半になると、共産党が統治する中国は市場を取り入れ、外国企業からの投資も受け入れて経済を成長させていく。

同じ共産主義の歴史に登場するのに、なぜ国家の経済の動かし方は、これほど違っていたのだろうか。

1848年に出版された『共産党宣言』初版の表紙

1848年の原版(マルクスとエンゲルス) / Wikimedia Commons / GNU FDL 1.2+。1848年に出版された『共産党宣言』初版の表紙。

共産主義の経済制度の歴史を1848年から1991年までたどる年表

思想・革命・経済制度の代表的な転換点を示すオリジナル模式図。

共産主義が変えようとしたのは、工場を誰が所有するかだった

共産主義とは、広い意味では階級のない社会や生産手段の共同所有を目指す思想を指す。マルクスとエンゲルスが批判したのは、誰かが自分の靴や家具を持つことではない。工場や大規模な土地、機械など、社会の生産に使われる資産を誰が所有し、そこで生まれる利益を誰が得るかという関係だった。

産業革命期のイギリスなどでは、多くの労働者が賃金のために働き、工場主は製品の販売によって利益を得ていた。マルクスは、この生産の仕組みが発展する一方で、労働者と資本家の利害対立を生むと考えた。

『共産党宣言』は、資本主義が生産を飛躍的に拡大する力を持つこと自体も認めている。しかし経済が成長しても、財産や意思決定の権限が一部に集中することへの批判を展開し、生産手段を共同で管理する方向を主張した。

ここで思想上の目標と、後の国家制度を区別する必要がある。マルクスの描いた将来社会は、そのままソ連や中国の行政制度を詳細に指示する設計図ではなかった。

社会主義と共産主義は同じ言葉ではない

社会主義にはさまざまな立場がある。経済の大部分を公有にする構想もあれば、民主政治と市場経済を維持しながら所得の再分配や公共サービスを拡大する立場もある。

マルクス主義の文脈では、資本主義から階級のない共産主義社会へ至る移行段階を社会主義と呼ぶ説明が広まった。これとは別に、マルクス主義を採らない社会主義思想も存在してきた。

つまり、社会保障に力を入れる政党が存在することと、共産党による一党支配、企業を国有化すること、階級のない共産主義社会の構想は、同じ意味ではない。

歴史上の共産党政権も、それぞれ自分たちが目指す社会を説明する言葉として社会主義を用いてきた。政治制度、企業の所有、価格の決め方は、国と時代で違ったのである。

1917年の革命は、理論の想定とは異なる土地で起きた

19世紀のマルクスは、産業資本主義が発達した国々の階級闘争を重要視した。ところが1917年に革命が起きたロシア帝国は、巨大な農村人口を抱え、工業化の進み方も西欧と異なる国だった。

第一次世界大戦による混乱と食料不足が深まるなか、皇帝の統治は崩壊し、最終的にレーニンらのボリシェヴィキが政権を握った。革命後には内戦が続き、国家の行政、軍隊、鉄道、工場、食料供給が大きな打撃を受けた。

内戦期の戦時共産主義では、大規模な国有化や農民からの穀物徴発などが行われた。政権側は都市や軍隊に食料を確保しようとしたが、農家には作物を増やしても取り上げられるという負担があった。生産は落ち込み、飢餓も広がった。

そして1921年、レーニンは大きく方針を変えた。市場での売買を一部認める**新経済政策(NEP)**を導入したのである。

1930年に制作されたソ連の五カ年計画の宣伝ポスター

ヴラディスラフ・グリッフェル制作(1930年)。ポスターは政策の当時の宣伝資料 / Wikimedia Commons / Public domain。1930年に制作されたソ連の五カ年計画の宣伝ポスター。

ソ連では国が生産量を決めようとした

1920年代末、スターリンの指導の下で新経済政策は終了へ向かい、ソ連は五カ年計画を中心とした急速な工業化と農業集団化を進めた。

工場を建てるには、鉄、セメント、石炭、機械、電力、労働者が必要である。市場経済では企業が価格や需要を見て投資を決める部分が大きい。一方、ソ連の計画経済では、国家が重工業などを優先して資源を配分し、企業に生産目標を与えた。

国が強く投資を集中できることで、工業化が急速に進んだ分野があった。米国議会図書館のロシア公文書展示は、1928年の第一次五カ年計画が重工業の大幅な拡大を目標とし、工場建設が進んだことを記している。

しかし、計画の数字を上回ること自体が重要になれば、実際に必要な商品の種類や品質が後回しになる危険がある。靴を何足作ったかを達成しても、欲しいサイズの靴が店にあるとは限らない。

市場の価格は不完全な情報であっても、何が不足しているかを知らせる役割を果たす。国家が多くの商品を中央で計画する場合、膨大な情報を集め、必要な量を見積もらなければならない。この問題は、計画経済の運営で重要な課題になった。

五カ年計画では工場の目標をどう決めたのかは、重工業への投資と商品不足の関係を具体的に説明している。

農業をまとめる政策は、深刻な犠牲を生んだ

スターリン政権は1929年以降、農民の土地や生産を集団農場へまとめる政策を強制的に進めた。都市の工業化を支える食料や資金を確保する意図があったが、農村では抵抗と混乱が起きた。

富農などと分類された人々は財産の没収や追放に遭い、強制徴発のなかで農民から食料が奪われた。1932〜33年にはウクライナ、カザフスタン、ロシアの一部など広い地域で飢饉が生じ、多数の人が死亡した。

ウクライナの飢饉はホロドモールと呼ばれる。死亡者数の推計や虐殺としての法的・歴史的評価には研究と各国の議論があるが、強制的な農業集団化、穀物調達、移動制限などの政府政策が惨事を深めたことは史料から確認されている。英国議会下院図書館や米国議会図書館の資料は、これらの経緯を解説している。

工業化の成果と農村への負担は、同じ時代の出来事だった。経済を評価する際には生産額だけでなく、誰がどのような条件で働き、何を失ったかを見る必要がある。

第二次世界大戦後、社会主義国は増えたが、同じ経済制度にはならなかった

1945年以後、東ヨーロッパの多くの国でソ連型の政治・経済制度が広がり、1949年には中国で共産党政権が成立した。

ただし、ソ連と違う道を歩もうとした国もある。ユーゴスラビアは1948年にソ連との政治的対立を深め、1950年から労働者の評議会が企業の運営に参加する自主管理制度を導入した。市場での価格や企業間競争を残し、企業の所有を社会的なものと考える制度だった。

共産主義を掲げる国なら企業はすべて中央官庁が直接運営するという理解は、ユーゴスラビアの例に当てはまらない。しかし自主管理も、国家と党の影響力や地域間格差、失業、対外債務などの問題から自由ではなかった。

ユーゴスラビアでは労働者が企業を運営したという歴史は、社会主義と市場を必ず対立するものとして考えるだけでは見落とす制度を示している。

中国は共産党の統治を維持しながら市場を広げた

中国では1950年代から土地改革や工業の国有化が進み、農村では人民公社などの集団的な生産制度が設けられた。1958年からの大躍進政策では、非現実的な生産目標や強制的な集団化などが混乱を生み、1959〜61年を中心に大規模な飢饉が発生した。

1978年以後、中国共産党は改革開放を進めた。最初に重要な変化が起きた場所の一つは、巨大工場ではなく農村だった。

集団所有の土地を家族ごとに契約で耕し、決められた納入分を超えた作物を売ることができるようにする。こうした家庭請負責任制は農家が何をどれだけ作るかを判断する余地を広げた。

世界銀行やIMFの研究は、中国の改革が農業から始まり、国営企業、価格、外国貿易・投資へ段階的に広がったことを示している。1980年には深圳など4か所に経済特区が設けられた。

市場の導入によって生産や所得が増えた一方、都市と農村の格差、環境問題、国有企業の役割、政治的自由の制約などの課題も残った。改革の経済的な影響と政治体制の評価は分けて考えられる。

1978年、中国の村で18戸が農業契約を結んだという話は、経済制度が中央の会議だけで決まるとは限らないことを伝える。

ソ連はなくなったが、共産主義という言葉は消えなかった

1989年から1991年にかけて東ヨーロッパの共産党支配が相次いで終わり、1991年12月にはソ連が解体された。

この変化には、長年の成長鈍化、財政・貿易の問題、政治改革、共和国間の関係、社会の不満など、いくつもの要因があった。計画経済の欠点が明らかになったから自動的に国家が解体した、という単純な因果関係ではない。

中国やベトナムは共産党による統治を続けながら市場の役割を拡大した。キューバや北朝鮮には、それらと異なる所有・価格・対外取引の制度がある。各国の制度を理解するには、党が政治権力を持つ仕組みと、企業が誰に所有され、商品をどのように売買するかを別々に見なければならない。

共産主義の歴史を考えるときには、初期の思想、20世紀に成立した国家の実際の政策、今日の各国の制度を混ぜないことが重要である。

共産主義の経済史が残した問い

19世紀のマルクスが批判した問題の一部――労働条件、所得と資産の格差、企業の所有と支配――は、資本主義の国々でも労働法や税制、社会保障を通じて議論されてきた。

一方、国家が企業を所有し生産を計画する制度では、投資を集中できることと、人々の多様な需要に応えることが必ずしも一致しない。さらに政治権力の集中や強制的な政策が、経済にどのような影響を及ぼすかという問題もある。

ユーゴスラビアの自主管理や、中国の改革開放は、その間に異なる選択肢が存在したことを示している。ただし市場を取り入れた社会主義国の成果や課題を、別の国へそのまま移すことはできない。

産業革命で労働者と資本家の関係が大きく変わってから約200年。誰が生産に関する決定を下し、利益や危険をどのように分けるべきかという問いは、現在も経済と政治を理解するうえで重要である。

世界経済史の通史へ / レーニンの新経済政策 / ソ連の五カ年計画

REFERENCES

参考文献・出典

  1. Communism: Definition and Origins ↗United States Holocaust Memorial Museum
  2. Manifesto of the Communist Party ↗Karl Marx and Friedrich Engels, 1848 (Wikisource)
  3. Internal Workings of the Soviet Union ↗Library of Congress, Revelations from the Russian Archives
  4. New Economic Policy (NEP) ↗Encyclopaedia Britannica
  5. China at the Threshold of a Market Economy, Overview of Reforms ↗International Monetary Fund, 1993
  6. Reflections on forty years of China's reforms ↗World Bank, 2018
  7. Yugoslavia: The Case of Self-Managing Market Socialism ↗Saul Estrin, Journal of Economic Perspectives, 1991, 5(4), 187–194
  8. Workers' Self-Management in Yugoslavia ↗Milica Uvalić, The Oxford Handbook of Post-Socialist Economies, 2024
  9. Holodomor and the war in Ukraine ↗UK House of Commons Library, 2023
  10. The Political Economy of China’s Great Leap Famine ↗James Kai-sing Kung, The Cambridge Economic History of China, 2022

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