1848年2月にロンドンで出版された『共産党宣言』は、世界史に残る政治文書の一つとなった。
ところが、最初から大部の哲学書として書かれたわけではない。マルクスとエンゲルスは、1847年にある政治組織から綱領をまとめるよう頼まれていたのである。

1848年の歴史的刊本・著者カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルス / Wikimedia Commons / Public domain。ドイツ語で印刷された初版の表紙。
二人はまだ20代だった
出版された1848年2月、マルクスは29歳、エンゲルスは27歳だった。
マルクスは1818年生まれで、新聞記者や著述家として各地で活動していた。エンゲルスは1820年生まれで、マンチェスターの繊維産業について働いた経験を持っていた。
二人が協力を深めたのは1844年のことだった。哲学、経済、歴史について議論するうちに、同じ社会変革を目指す政治活動にも関わるようになった。
共産主義者同盟の大会が、執筆を依頼した
当時のヨーロッパではさまざまな民主化運動、労働者運動、社会主義運動が活動していた。マルクスとエンゲルスは、国際的な労働者の政治組織である共産主義者同盟に加わった。
1847年11月、ロンドンで開かれた同盟大会は、二人に政治的な綱領を書いて出版するよう依頼した。
エンゲルスが後に1888年の英語版につけた序文では、この依頼と印刷までの経緯が説明されている。現代の歴史研究でも、エンゲルスの初期草稿と、マルクスが執筆した最終原稿の関係が検討されている。
そもそも組織として何を実現しようとするのか、なぜ既存の社会を変えたいのかを説明する必要があった。『共産党宣言』は、そうした目的で書かれた政治組織の立場を表明する文書だった。
出版は1848年2月だった
最終原稿は1848年初頭にまとめられ、ドイツ語で印刷された。最初に出版されたのはロンドンで、同じ年の2月だった。
ちょうどその時期、ヨーロッパ各地では政治的な混乱が広がっていた。フランスでは2月革命が起き、ドイツ諸邦でも改革や革命を求める運動が拡大した。
しかしこの出来事を、『共産党宣言』が発売されたから革命が発生したと説明するのは正確ではない。ヨーロッパには食料価格の上昇、景気悪化、政治的な不満など多くの背景があり、出版当初の冊子の読者は限られていた。
宣言は、産業革命が生み出した資本家と労働者の関係を中心に、階級間の対立について論じていた。後に世界各地で読まれるようになったが、1848年の読者と20世紀の読者では置かれた社会の状況がまったく異なっている。
後世の大きな影響と、当初の小さな出発点
1917年のロシア革命以降、『共産党宣言』は共産党運動の重要な歴史的文書として広く読まれた。しかし、マルクスやエンゲルス自身は後のソ連の具体的な経済制度を設計したわけではない。
二人が書いた政治冊子と、何十年も後に生まれた国家の政策を区別して考える必要がある。
歴史的に有名な本の表紙を見ていると、それが長年の研究の最終成果であるかのように見える。『共産党宣言』は違った。20代の二人が、国際的な政治団体から頼まれて書いた一冊の綱領文書が、その後長く読み継がれるようになったのである。