1921年、ロシア革命を率いたレーニンは、新たな政策によって農民が自分の作物を市場で売ることを認めた。小さな商店や工房にも、民間による経営が再び認められる。
共産主義革命を進めた政権が、市場での商売を復活させたのである。
政策の名前は新経済政策(NEP)。社会主義を掲げる国家が直面した、食料と生産の問題から生まれた政策だった。

1921年5月26日の写真・撮影者不詳 / Wikimedia Commons / Public domain。1921年5月、共産党の会議に出席したレーニン。
農家が作物を増やしても、取り上げられていた
1917年の革命後、ロシアは内戦と経済の混乱に直面した。都市や軍隊へ食料を供給するため、ボリシェヴィキ政権は農家から穀物などを強制的に徴発した。この時期の政策は戦時共産主義と呼ばれる。
農家が苦労して作物を増やしても、余剰を国家が取り上げる。売却して自分の収入にできなければ、作付けを増やす動機は弱くなる。さらに戦争、交通の混乱、労働力不足、干ばつも重なって生産が落ちた。
工場の生産も大きく減り、都市へ必要な食料が届かなくなった。1921年には深刻な飢饉が広がり、政権への不満や反乱も起きていた。
内戦に勝って政権を維持しても、農家が作物を生産し、都市が食料を受け取れなければ経済は動かない。その問題が政策変更を促した。
穀物を徴発する代わりに、税を納めさせた
1921年3月の共産党大会で、政府は余剰穀物の徴発を現物税へ切り替える方針を採った。決められた量を税として納めれば、農家は残った生産物を売ることができる。
例えば収穫した穀物のうち一定量を納め、残りを市場で売って衣服や道具を買えるとする。農家には生産を増やして利益を得る余地が生まれる。
実際の税負担や買付制度は年によって変化したが、政府が作物を取り上げるだけだった制度と比べ、農家の経済的な判断の余地を広げたことは大きな違いだった。
レーニン自身が1921年3月に述べた、徴発を税へ変える政策についての演説記録も残っている。政府の目標は農業生産を回復させ、都市への食料供給を立て直すことにあった。
商人や小さな企業が戻ってきた
新経済政策では農業だけでなく、小売商業や小規模工業にも民間の活動が認められた。商人が商品を買って売り、小さな工場や店舗を経営できるようになった。
一方、大銀行、主要な交通機関、重工業、対外貿易などの重要な分野は政府が管理した。
そのためNEPは、ロシア経済を革命前の仕組みに全面的に戻す政策ではなかった。国家が大きな企業を支配しながら、農業や商業に市場を利用するという、混合的な制度だった。
当時の民間商人や事業者は「ネップマン」と呼ばれた。私的な商売が広がることには共産党内から批判もあり、政府もNEPを永続的な最終形だとは考えていなかった。
1928年、政策の方向は再び変わる
NEPは内戦で傷んだ経済を安定させ、農業や小規模な商業の回復に役立った。しかし都市へ必要な穀物を確保することや、工業化をどのように進めるかは引き続き問題になった。
1920年代末、スターリン政権は市場の役割を大きく縮小し、農業集団化と五カ年計画による急速な工業化へ進んでいった。
レーニンのNEPは、共産党が政権を持つことと、市場取引をすべて禁止することが、歴史上必ずしも同じではなかったことを示している。
それから約半世紀後、中国も共産党の統治を続けながら、農家に市場で売る余地を広げる改革を進めた。目的も制度も同一ではないが、社会主義を掲げる政府が生産と市場の関係を見直したという点で比較できる。