1950年、ユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーが議会で、企業の運営に労働者が参加する制度について説明した。
当時、社会主義国の経済といえばソ連型の中央計画を思い浮かべる人が多かった。しかしユーゴスラビアは、企業の労働者が評議会を通じて経営に関与する制度を作ろうとしていた。

1950年、ユーゴスラビア議会で自主管理法を説明するチトー。撮影者不詳・当時の歴史写真 / Wikimedia Commons / Public domain。
社会主義国なのに、ソ連とは異なる制度を求めた
第二次世界大戦後のユーゴスラビアでは共産党が政治を支配し、工業などの国有化が進んだ。しかし1948年、ソ連のスターリン政権との関係が決定的に悪化した。
ユーゴスラビアの指導部は、経済をソ連と同じように中央から細かく指示する以外の仕組みを模索するようになった。
1950年には労働者自主管理の基本法が導入され、1953年の憲法法で制度の位置付けが強められた。企業を国の各省庁が直接命令して運営する方式から、働く人々による評議会が意思決定に参加する方式へ移ろうとしたのである。
歴史研究では、この制度の成立をソ連との対立だけで説明することには慎重さが求められる。グラスゴー大学の研究者による公文書研究は、1948年以前からの改革構想や世界市場との関係も重要だったと論じている。
工場にいる労働者が、何を決めるのか
労働者評議会では、企業の重要な方針や経営者の選任などに労働者が関わる。企業が生む所得をどう配分するか、投資をどのように行うかも、制度上は労働者の参加が重視された。
しかし働く人が自由に工場を私有財産として売ることができるわけではない。工場や設備は社会的所有と考えられ、各企業はその資産を使って事業を営む。
また企業は、何をどれだけ作るかを中央政府からすべて決められる方式ではなく、商品やサービスの市場を利用することができた。こうした仕組みは市場社会主義と呼ばれる。
ソ連型の計画経済が中心的だった東欧の他の国々と比べると、大きな違いがあった。

1949年12月の初期の労働者評議会の歴史写真。撮影者不詳 / Wikimedia Commons / Public domain。1950年の法律より前から試みが始まっていたことを示す。
民間の株主がいなくても、企業同士が競争する
普通の株式会社では株主が持分を所有し、取締役を選ぶ。ソ連の国営企業では国家の計画が重要な決定を担った。
ユーゴスラビアは、社会的に所有される企業が労働者の参加によって運営され、市場で販売する方式を組み合わせた。
この制度では、企業が売上を伸ばし、収益を増やす動機が生まれる一方、労働者が今期の分配を重視して将来の投資を控えることがないかなど、経済学上の課題も考えられた。
経済学者サウル・エストリンは1991年の『Journal of Economic Perspectives』の論文で、こうした企業制度が市場と社会的所有を組み合わせた試みだったと解説している。
制度を作っても、党と国家の力はなくならなかった
労働者が評議会で運営に参加する制度が作られたからといって、企業や社会のすべての意思決定が自由になったわけではない。共産党による政治統治は続き、企業経営には国家の政策や金融機関が影響した。
1970年代末以降には経済成長の鈍化、インフレ、対外債務、失業、地域間格差などの問題が深刻になった。自主管理制度の成果と限界をどう評価するかは研究上の議論もある。
それでもユーゴスラビアの歴史から分かるのは、社会主義だから必ず中央政府が工場のすべてを決めるというわけではなかったということだ。
ソ連の計画経済と読み比べると、企業の所有と運営の仕方が経済制度にどのような違いを生むかが見えてくる。