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マルクスは娘に何か月も物語を聞かせ、エンゲルスとは手紙で喧嘩した

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更新日:2026-10-31

1863年1月、マンチェスターからロンドンへ一通の手紙が届いた。送り主はフリードリヒ・エンゲルス。長年一緒に暮らしていたメアリー・バーンズが突然亡くなったという知らせだった。

受け取ったカール・マルクスはお悔やみを返した。ところが、その手紙の大部分を占めていたのは自分の借金や家賃、子どもの学校の費用の話だった。

エンゲルスは怒った。何年も支援し合ってきた親友との関係が、一度の手紙で揺らいだ。

マルクスとエンゲルスについて、こうした出来事を知る人はそれほど多くない。大著を書き、国家の歴史にまで影響を与えた二人も、普段は家族と暮らし、家計に悩み、時には親しい相手へひどい返事を書いてしまう人間だった。

娘たちにとって、マルクスは立派な先生よりも遊び相手だった

残されたマルクスの肖像には、ひげを蓄えた厳しい顔が多い。けれど娘エリノアが1895年に書いた父の思い出を読むと、ずいぶん違った人物が現れる。

家では、マルクスは「モーア(Mohr)」と呼ばれていた。彼の肌や髪の色に由来する愛称で、妻や子どもだけでなく親しい友人も使っていた。

エリノアは幼いころ、父の肩に乗って庭や近くの野原を駆け回ったという。手で父の豊かな髪をつかんで落ちないようにしていた。年上の子どもたちが、父をいすにつないで馬車馬のまねをさせたこともあった、と彼女は書いている。

1866年に撮影されたカール・マルクスと長女ジェニー

1866年、英国マーゲートで撮影されたマルクス(右)と長女ジェニー・カロリーネ(左)。妻のイェニーではなく娘である。撮影者不詳 / Wikimedia Commons / Public domain。

父には物語を作る才能もあった。二人の姉は散歩の途中で話の続きをねだるとき、章数ではなく歩いた距離で注文した。もう少し先まで歩くから、その分だけ続きを聞かせてほしい、というわけだ。

エリノアがとりわけ気に入ったのは、ハンス・レックレという魔法使いの物語だった。魔法使いは不思議なおもちゃの店を開いている。巨人、小人、動物、王様、家具、乗り物など、何でも作れる。しかし自分の借金が返せず、おもちゃを悪魔に売らなければならなくなる。それでもおもちゃは長い冒険の末、店に戻ってくる。

この連作は何か月も続いたという。娘はその物語が書き残されなかったことを惜しんでいた。

借金に追われた魔法使いの話が、実際に家計で苦労していたマルクスの体験を反映しているようにも読める。ただし本人がその意図を語った確かな記録があるわけではない。物語の内容が分かるのは、主に娘の後年の回想を通じてである。

二人の家族には、妙なあだ名がたくさんあった

エリノアの回想によれば、マルクス家の人々は互いに独特なあだ名を付けていた。エリノア自身は「タッシー(Tussy)」、エンゲルスは1870年以降「将軍(General)」と呼ばれた。

エンゲルスが軍事問題を熱心に研究し、軍事についての文章も書いていたことと、このあだ名は結び付いている。

同じ回想では、マルクスが子どもたちにホメロスや『ニーベルンゲンの歌』、『ドン・キホーテ』、『千夜一夜物語』などを読み聞かせたことにも触れている。シェイクスピアのせりふは、家庭で日常的に親しまれていたという。

エリノアが父を回想したのは、彼の死から十年以上たった後だった。娘の愛情を込めた記述であり、そこに現れるマルクスが唯一の正しい姿だと決めつけることはできない。それでも、彼を知る家族がどう記憶していたかを伝える直接的な証言である。

1863年、エンゲルスは親友の返事に傷ついた

同じ家庭的な人柄を思い浮かべながら、1863年の往復書簡を読むと、別の一面が見えてくる。

1月7日、エンゲルスはメアリー・バーンズの急死をマルクスへ知らせた。彼女はアイルランド出身で、長年エンゲルスの伴侶だった。知らせを受けたマルクスは翌日、お悔やみを書いた。

しかし、その後に続いたのは自分の家計についての切迫した説明だった。家賃や学校の費用を請求され、肉屋やパン屋からの信用取引も打ち切られそうで、子どもには外出するための靴や衣服がない――そうした事情を長く書き連ねたのである。

このときの実際の手紙は残っている。マルクスはお悔やみを述べなかったのではない。弔意を示した直後、相手の悲しみを受け止めるより自分の窮状の説明へ進んでしまったのだ。

エンゲルスはすぐに返事をしなかった。1月13日、ようやく届いた手紙には、自分の不幸へのマルクスの反応があまりに冷淡だった、と率直な不満が書かれていた。

マルクスは1月24日の返事で、自分の手紙が間違っていたことを認め、送った後すぐに後悔したと書いた。家主が取り立てに来て、食料や暖房用の石炭にも困っていたという。自分が置かれた状況を説明しているが、それで友人の悲しみが消えるわけではない。

1月26日、エンゲルスはようやく気持ちを収めた。彼は、メアリーとともに自分の青春の最後の部分まで埋葬したような気分だったと記し、マルクスの謝罪を受け入れた。そして長年の親友も失うことにならずに済んだと安堵した。

1875年に撮影されたカール・マルクスの肖像

ジョン・J・E・メイヨール撮影、1875年。1863年の出来事より12年後の肖像 / Wikimedia Commons / Public domain。

政治や経済について強い意見を述べた二人にも、気まずい沈黙や謝罪があった。しかも、彼らがそうした感情を経験したことは、手紙の日付と文面を通じて確かめられる。

1867年、『資本論』の完成を喜んだエンゲルスは紙幣を半分ずつ送った

その四年後、二人の手紙にはまた別の出来事が記されている。

1867年4月2日、マルクスはエンゲルスに『資本論』第1巻の原稿を完成させたと知らせた。しかし喜ばしい知らせと同時に、自分の健康が悪かったことも打ち明けている。

身体にできた腫れ物が痛み、座って文章を書くことさえ苦しかった。さらに、質屋へ預けた衣服や時計を取り戻さなければならないと書いている。

第1巻を書き上げても、出版するまでには旅費が必要だった。マルクスは原稿をハンブルクの出版社へ届けるために出かけなければならなかった。

4月4日、エンゲルスは完成を喜ぶ手紙を送った。そして金銭的な援助として、5ポンド紙幣7枚、合計35ポンドを半分にしたものを同封したと伝えた。

残りの半分は、マルクスからいつもの電報が来たら送るという。紙幣を分けて別便で送る方法を、二人は実際に使っていたのである。

この話の面白さは、著名な思想家が友人から大金を受け取ったという点だけではない。エンゲルスは原稿の完成を自分のことのように喜びながら、同時に相手が旅費に困らないよう具体的な手段を考えていた。

1867年8月16日、マルクスは夜中の2時に第1巻の最後の校正を終え、エンゲルスへ感謝の手紙を書いた。そこでは、エンゲルスの犠牲的な支援がなければ、膨大な仕事を続けられなかったと伝えている。

大きな思想の歴史の陰には、病気や家賃、出版費用、原稿を運ぶ旅、そして半分に分けられた紙幣があった。

書簡が残してくれた二人の姿

マルクスとエンゲルスについては、彼らが書いた本だけでなく、家族の回想や何千通もの書簡を通じて日常生活も研究されている。

その資料を読むと、マルクスは子どもに物語を聞かせて何時間も遊ぶ父親であり、友人に対して無神経な返事を書いてしまうこともある人物だった。エンゲルスは親友を経済的に支え続けたが、傷ついたことを黙って飲み込む人ではなかった。

二人は長く協力したが、いつも円満で、すべての面で同じ考えを持っていたというわけではない。むしろ衝突しても話し合い、仕事を続けられたからこそ、彼らの関係は長続きしたのだろう。

なお、子ども時代の話は娘エリノアの後年の回想、1863年と1867年の出来事は当事者同士の書簡による。同じ逸話でも、何を根拠に知ることができるのかは異なる。 家族の思い出と日付の残った手紙を分けて読むと、二人の姿はより立体的になる。

マルクスとエンゲルスの生涯 / エンゲルスがマルクスを支えた工場での仕事 / 共産主義の経済史

REFERENCES

参考文献・出典

  1. Biographical Notes on Marx’s Literary Interests ↗Eleanor Marx-Aveling(娘エリノアによる父の回想)
  2. Karl Marx: A Few Stray Notes ↗Eleanor Marx-Aveling, 1895(娘による回想記)
  3. Letter from Engels to Marx, 7 January 1863 ↗Friedrich Engels, Marx-Engels Collected Works, vol.41
  4. Marx to Engels, 8 January 1863 ↗Karl Marx, Marx-Engels Collected Works, vol.41
  5. Marx to Engels, 24 January 1863 ↗Karl Marx, Marx-Engels Collected Works, vol.41
  6. Engels to Marx, 26 January 1863 ↗Friedrich Engels, Marx-Engels Collected Works, vol.41
  7. Marx to Engels, 2 April 1867 ↗Karl Marx, Marx-Engels Collected Works, vol.42
  8. Engels to Marx, 4 April 1867 ↗Friedrich Engels, Marx-Engels Collected Works, vol.42
  9. Marx to Engels, 16 August 1867 ↗Karl Marx, Marx-Engels Selected Correspondence(書簡原文)
  10. Photograph of Karl Marx with his daughter Jenny, 1866 ↗Wikimedia Commons(1866年の写真と撮影対象の同定)

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