ヨーロッパで近代的な銀行券が使われ始めたのは、17世紀のことだった。しかし、それよりずっと前の中国で、商人たちは金属のお金を運ばず、紙を使って取引する仕組みを発達させていた。
北宋の時代、四川では「交子(こうし)」と呼ばれる紙幣が登場し、11世紀には政府がその発行を管理するようになった。世界初期の本格的な紙幣制度は、ヨーロッパより数百年も先に東アジアで成立していたのである。

中国宋代の紙幣を紹介する歴史図版・出所『社会歴史博物館』 / Wikimedia Commons / Public domain。
商人が運んだ金属のお金は重かった
宋代の中国では都市と商業が発達し、遠くの地域へ商品を運ぶ取引が盛んになった。銅銭などの金属貨幣は使われていたが、大きな金額を支払うために大量の銭貨を運ぶのは不便だ。
銭をひもに通して数えることはできても、何百、何千と集めれば荷物は重くなる。さらに銭を運べば盗難の危険もある。
そこで、信頼できる商人へ現金を預け、受取証を持ち歩く方法が使われるようになった。預けたお金の代わりに証書を受け取り、別の場所で現金と交換する仕組みである。
この段階では、紙は預かった物を引き出すための証書だった。しかし証書がほかの人の支払いにも受け入れられるようになれば、紙そのものが取引に使われる。ここに貨幣としての新しい役割が生まれる。
11世紀、中国政府が発行を管理した
中国国家博物館の解説によれば、10世紀末の四川では民間商人の間で交子が使われ、1023年には北宋政府が益州交子務という官庁を設けた。翌年には政府が発行する交子が登場する。
金属貨幣を鋳造する場合には、その材料となる銅や鉄が必要になる。紙幣なら持ち運びや印刷の面で便利だが、代わりに発行者が本当に信用できるかが重要になる。
民間商人が多くの証書を発行して引換に応じられなくなった経験が、政府による管理へ移る背景の一つとなった。証書の便利さと発行者への信用は、最初から一緒に問題になっていたのである。
ただし交子が最初から中国全土で使われていたわけではない。宋代の紙幣は地域ごとに異なる制度で発行され、後の元代ではより広い範囲での紙幣流通が進んだ。
紙幣を作れることと、価値を守れることは違う
紙幣の仕組みを作ると、金属貨幣の在庫だけに依存せずに支払手段を増やせる。しかし政府が大量に発行すれば、必ず取引が豊かになるわけではない。
経済史研究では、宋・元代の紙幣には過剰発行や交換停止の問題があったことが指摘されている。政府財政が苦しくなったとき、紙幣発行がそれを補う手段として使われる場合があった。
紙幣の発明は、信用を作る技術の発達でもあった。紙は軽くて扱いやすいが、価値を持ち続けるかは制度と社会の信頼に左右される。
この点は17世紀スウェーデンの紙幣を発行した銀行が破綻した出来事にも通じる。中国とヨーロッパでは時代も制度も違ったが、同じような問題が繰り返し現れた。
お金の歴史はヨーロッパから始まったわけではない
現代の金融制度を学ぶと、イングランド銀行やヨーロッパの商人の話が多く登場する。だが、銀行券の歴史をたどるなら、宋代の中国を欠かすことはできない。
商業の拡大、重い貨幣の持ち運び、信用証書、政府による発行管理。これらの要素が11世紀の中国で既に結び付いていた。
現在の紙幣は宋代の交子と同じ制度で発行されているわけではない。しかし素材の価値だけでなく、受け入れられるという信頼によってお金が流通するという発想には、千年近い歴史がある。