1964年10月1日、東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業した。高速鉄道は戦後日本の成長を象徴する存在になった。
しかし開業の3年前、世界銀行がその建設費として8,000万ドルを日本へ融資していたことは、あまり知られていない。
今では日本は世界銀行を支える主要国の一つだ。だが1960年代の日本は、世界銀行から資金を借りて道路や発電所、鉄道を造る国だった。

Sui-setz撮影・2008年。1964年当時の写真ではない / Wikimedia Commons / Public domain。
世界銀行の融資は、1961年に決まった
世界銀行が1961年5月2日に発表した当時のプレスリリースには、日本国有鉄道への8,000万ドルの融資が明記されている。
融資の対象は東京から大阪へ至る新しい高速鉄道だった。当時の東海道地域は、日本の工業生産が集まる地域だった。世界銀行は、この地域が国土の約16%である一方、人口の約40%を占め、工業生産の大きな部分を担っていると記していた。
人々が豊かになるにつれ、旅客列車も貨物列車も増える。しかし既存の東海道本線には容量の限界があり、幹線道路も混雑していた。経済が成長しても、物と人を運べなければ生産と商業の足を引っ張る。
新幹線は時速が速いだけの乗り物として建設されたわけではない。国の主要な工業地帯を結ぶ輸送能力をどう増やすかという問題を解決するための投資だった。
世界銀行の8,000万ドルで、すべてを建設したわけではない
世界銀行が負担した8,000万ドルは、建設総費用の一部である。日本国有鉄道は政府などの国内資金も使って建設を進めた。
融資が海外の銀行から届いたからといって、新幹線を外国企業が全部建設したわけではない。日本には鉄道建設や車両設計の技術があり、それを組み合わせて高速運転を可能にした。
世界銀行の日本語資料には、融資をめぐる審査や費用便益分析の経験が、その後の鉄道計画にも生かされたことが紹介されている。資金の借入と同時に、大規模事業を評価する方法を学ぶ面もあった。
新幹線だけでなく、道路や製鉄所も融資を受けていた
日本が世界銀行へ加盟したのは1952年。翌1953年から世界銀行の日本への貸出が始まった。
最初のころは火力発電、鉄鋼、造船などに資金が使われ、1960年代に入ると高速道路や新幹線などの交通インフラの割合が増えていった。
世界銀行の集計によると、1953〜1966年に日本が受けた融資は31件、合計約8億6,300万ドル。融資契約の新規締結は1966年を最後に終了し、最後の借入を返済したのは1990年だった。
金額が大きくても、借りたらすぐ使える無償の援助金ではない。融資には利息と返済義務がある。資金を投入して整備した工場や道路が、将来の生産や税収の増加につながることが期待されていた。
先進国になった後から、過去を見直す
1964年当時の日本は、すでに多くの工業製品を生産できる国になりつつあった。しかし国際金融の側では、なお長期の開発資金を必要としていた。
新幹線建設に使われた融資は、日本の戦後復興が日本国内の努力だけで進んだわけではないことを教えてくれる。同時に、外国から資金を借りる国でも、高い技術力を持ち、世界に先駆ける交通システムを建設できることも示している。
社会が豊かになるには、道路や電力、鉄道などを先に整備する必要がある。しかしそのためのお金が不足することもある。開発金融の役割は、現在の途上国だけでなく、かつての日本の経済史の中にも残っている。