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ニュートンは株を売って儲けた。ところが高値で買い戻し、大損した

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更新日:2026-10-31

1720年の春、アイザック・ニュートンは南海会社の持分を売り、値上がり益を手にした。

判断は悪くなかった。ところが売却した後も株価はぐんぐん上がる。ロンドンでは南海会社の話題が広がり、さらに高い値段で買う人が現れた。

ニュートンは再び市場に戻った。最初に売ったときより、ずっと高くなった株を買い直したのである。

その年の秋、相場は崩れた。

先に売るという正しい判断を一度したのに、相場の上昇が続いたために戻ってしまった。 1720年の南海バブルでは、この売買の順番が彼の財産を大きく変えた。

1702年のアイザック・ニュートンの肖像

ゴドフリー・ネラーによる肖像画(1702年)。事件の18年前の姿 / Wikimedia Commons / Public domain。

株を買ったのは、貿易会社の看板のためだけではなかった

南海会社は1711年、英国政府の財政と深く結び付いて設立された。海外との貿易で利益を上げる会社のような名前だが、1720年に投資家を引き付けた大きな要素は、政府の借金を会社の株式に交換する計画だった。

英国政府は長年の戦争で多額の借金を抱えていた。国債などを保有する人々に南海会社の株を受け取らせ、会社は政府からの収入や貿易の将来性によって利益を上げる。うまくいけば政府にとっても出資者にとっても都合がよい。

だが、それが本当にどれほど儲かるのかは不確かだった。南海会社が期待を集めた南米貿易はスペインとの政治関係に制限され、実際の事業には奴隷輸送も含まれていた。

にもかかわらず株価は急騰した。会社の事業がどれだけ成長するかという問いよりも、次はもっと高く売れるのではないかという期待が、取引を押し上げていった。

ニュートンはこの時代の金融に疎い学者ではなかった。1696年から王立造幣局で働き、1699年には造幣局長に就任。貨幣の製造や品質、偽造への対処に関わったほか、自らも金融資産を保有する経験豊富な投資家だった。

そんな人物が春には売却を選び、夏には再び買った。彼がどんな気持ちで判断したかを細かく記した日記は残っていない。それでも、取引の順序は後世の研究でかなり明らかになっている。

利益を確定した後、相場へ戻った

春に株を売ったニュートンは、ひとまず利益を得た。しかし値上がりはそこで終わらず、南海会社の株を持ち続ける人々の利益は、紙の上でさらに増えていった。

上がり続ける株価の前では、売った人にも新しい迷いが生まれる。前に売った値段より高くても、これからもっと上がるなら買い戻せる。実際、1720年の夏にニュートンは再び南海会社の株を手に入れた。

秋になると株価は崩れた。春に売ったときの価格より高く買い直していたため、今度は大きな損失が生じた。

彼が誰の話を聞いて再購入を決めたのか、何を期待していたのかは、資料だけでは読み取れない。しかし売却から再購入、暴落までの取引の順序は、金融史の研究で確かめられている。

利益を得て市場から出た人が、急騰を見てもう一度参加する。この一連の動きは、物理学の天才にも無縁ではなかった。

損失額をめぐる伝説と、残された取引記録

ここには、後世の伝説と歴史研究の面白いすれ違いがある。

ニュートンは2万ポンドを失った、と投資の本ではよく紹介される。しかし長い間、その金額を直接裏付ける記録は十分ではなかった。経済史家ヘレン・ポールは2002年、よく知られた逸話の証拠を慎重に評価している。

その後、金融史を調べたアンドリュー・オドリツコは当時の売買資料を洗い直し、2019年に英国王立協会の学術誌で結果を発表した。

研究が支持したのは、ニュートンが初めに利益を確保し、その後の熱狂のなかで買い直し、相当な資産を失ったという大筋である。完全な取引台帳が残っているわけではなく、正確な損失を2万ポンドと決め打ちすることはできない。

もう一つ、よく語られる話がある。天体の運動は計算できても、人間の狂気までは計算できない、とニュートンが嘆いたというものだ。

この発言については、本人が事件の後に実際に言ったと確認できる強い同時代資料がない。ニュートンの損失について後から付け加えられた、印象に残りやすいせりふとして扱うのが慎重だ。

名言の真偽に頼らなくても、残された売買資料には十分に奇妙な経過が刻まれている。

ニュートンが研究したものと、予測できなかったもの

17世紀末のニュートンは、惑星の運動を数学で説明する方法を作り上げた。1720年には貨幣と財政の実務を長く経験した人物でもあった。

それでも、会社の将来を考える能力と、次々に変わる株価へ対応する能力は同じではない。市場には他人の予測が入り込み、価格が上がること自体が新しい買い手を呼ぶ場合もある。

この点で、1637年のオランダのチューリップ投機や、約200年後に相場予測から投資方法を変えたケインズの経験は、比較する価値がある。

ニュートンの南海会社株の取引には、春の売却で利益を確保したという前半がある。歴史に残ったのは、そのあとにもう一度買い戻したからだ。惑星の運動を解き明かした数学者は、上がり続ける株価の前で、いったん終えたはずの取引へ戻っていった。

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REFERENCES

参考文献・出典

  1. Newton and the South Sea Bubble ↗University of Oxford, Newton and the Mint project
  2. Isaac Newton and the perils of the financial South Sea ↗Andrew Odlyzko, University of Minnesota, revised 2020
  3. The myths of the South Sea Bubble ↗Helen J. Paul, University College London Working Paper, 2002
  4. The South Sea Bubble ↗Bank of England, History
  5. Portrait of Sir Isaac Newton by Godfrey Kneller, 1702 ↗National Portrait Gallery / Wikimedia Commons
  6. Newton’s financial misadventures in the South Sea Bubble ↗Andrew Odlyzko, Notes and Records 73(1), 2019, pp.29–59(王立協会の査読誌)

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