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バブル経済はなぜ崩壊し、日本の銀行を1990年代まで苦しめたのか

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更新日:2026-10-31

1989年12月29日、日本の株式市場は年内最後の取引を終えた。日経平均株価の終値は38,915円87銭。この数字は、その後30年以上にわたって超えられない水準になった。

当時、株式だけでなく東京などの土地の価格も急騰していた。企業が土地を買い、銀行が土地を担保に資金を貸し、その資金がさらに株や土地の市場へ向かう。価格の上昇が次の上昇を呼ぶ循環が生まれていた。

しかし株価は1990年に急落し、地価も翌1991年から下落へ向かった。問題は、値上がりを期待して買った人が損をしたことだけではない。融資した銀行と、借りた企業の財務も一緒に傷んだため、経済全体に長く影響した。

東京証券取引所のかつての株式売買立会場

東京証券取引所の旧売買立会場を2004年に撮影した写真。バブル期の1989年当時の写真ではなく、当時使われた立会場の様子を示すもの。Chris 73撮影 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(表示用に縮小)。

なぜ土地が値上がりすると、さらにお金を借りられるのか

例えば、ある会社が土地を担保に銀行から融資を受けていたとする。土地の市場価格が上がれば、担保として評価される価値も高くなる場合がある。銀行はより多くのお金を貸せると判断し、会社は追加の投資を行うことができる。

そのお金で別の土地や設備を購入すれば、投資需要が増える。多くの人が土地の値上がりを予想して買い続ければ、価格はさらに上がるかもしれない。

日本銀行の1999年の副総裁講演は、銀行融資の拡大と不動産価格の上昇が相互に強め合ったことを説明している。

地価上昇と融資拡大が循環する仕組み

1980年代後半の日本で見られた相互作用を単純化したオリジナル模式図。すべての銀行・企業が同じ行動をしたわけではない。

これは価格が上がったから企業の生産力が必ず高まった、ということではない。土地の市場価格と、そこで働く人が作る商品・サービスの価値は別だ。値上がりそのものを根拠に融資が増えると、価格への期待が外れたときに危険が大きくなる。

1980年代の金融政策と市場の自由化

バブル形成の背景には複数の要因がある。

1985年のプラザ合意後、円高が急速に進んだ。日本銀行は景気への悪影響を和らげるため、1986〜87年に公定歩合を引き下げた。低金利は企業の資金調達をしやすくし、資産価格の上昇と結び付いた。

同じ時期、金融の自由化によって大企業が銀行以外の市場から資金を調達しやすくなり、銀行は新しい融資先を開拓していた。不動産関連や中小企業向けの融資が増え、土地を担保として重視する傾向も強まった。

ただし「金利を下げたから、必ずバブルが発生する」という単純な因果関係ではない。企業の期待、金融機関の競争、融資審査、規制、将来の地価に対する見通しなどが組み合わさっていた。

日本銀行は1989年5月から金融引き締めに転じ、その後も公定歩合を引き上げた。株価は1990年に大幅に下落し、地価の下落も始まった。

政策の変更がバブル崩壊へどれほど寄与したか、いつ引き締めるのが適切だったかについては、現在も議論がある。原因を一つの会合や一つの金利変更に絞ると、当時の危険な融資や過剰な投資の蓄積を見落とすことになる。

土地を売っても借金が返せない

土地を担保にした貸出があるとき、土地の価格が下がると何が起こるのか。

仮に土地が1億円の価値を持つと考えられていて、銀行がそれを担保に7,000万円を融資したとする。ところが土地の価格が4,000万円まで下落したら、土地を売っても融資の全額は回収できない。

借りた企業も、投資先から期待した収入が得られず返済に困るかもしれない。銀行は貸出金の回収が難しくなり、不良債権が増える。

もちろん担保の値下がりだけで融資が必ず不良債権になるわけではない。企業が事業の利益から返済できていれば、貸出は通常どおり続く。しかしバブル崩壊後には景気も弱まり、返済能力まで悪化する企業が増えた。

銀行は損失を警戒して、新しい貸出を控えるようになる。資金を借りられなくなった企業は設備投資を先送りし、雇用を減らす場合がある。銀行を立て直すための慎重な行動が、景気の回復を遅らせることもある。

株価が下がった年と、金融危機の年は違う

1989年末が株式市場の頂点であり、1990年に株価が下落した。しかし日本で大型金融機関の破綻が相次いだのは1997〜98年だった。

なぜ大きな時間差があったのか。銀行には返済の期限が来るまで処理されない貸出や、損失がすぐに表面化しない資産もある。不良債権を抱えていても、処理の方法や経営の再建には時間がかかる。

日本銀行の2016年の講演は、バブル崩壊後に企業が過剰な借金・設備・雇用を抱え、金融機関が不良債権問題に苦しんだと整理している。

1997〜98年の大手金融機関の破綻では、銀行の貸出機能が大きく傷み、信用収縮が発生した。預金を集める銀行が苦しくなれば、資金を借りる企業だけでなく、仕事を探す人や商品を売る店にも影響が及ぶ。

金融危機は最初の株価下落から何年もたって深刻化した。それほど金融の損失は、社会のさまざまな場所に時間をかけて伝わる。

バブルの崩壊だけで、その後の数十年を説明できるのか

1990年代の日本経済の停滞を語る際、「失われた10年」という言葉が使われる。さらに2000年代まで含めて「失われた20年」と呼ばれる場合もある。

ただし不良債権の処理が進んだ後も成長率がかつての高度成長期へ戻らなかった理由を、バブル崩壊だけで説明することはできない。人口構成の変化、生産性の伸び、企業の投資、国際競争、需要などの長期的な要因も関わっている。

経済産業研究所の研究でも、金融危機とは別に生産性や人口構成、投資などの構造的な変化が検討されている。

この歴史が示すのは、資産価格が急上昇しているときでも、銀行や企業の財務が本当に強くなったかは別の問題だということだ。価格が上がることでお金を借りやすくなり、そのお金がさらに価格を押し上げる循環は、反転したときに大きな負担を残しうる。

日本経済史の長編 / 中央銀行と金利の仕組み / 世界恐慌と銀行危機

REFERENCES

参考文献・出典

  1. Asset Price and Monetary Policy: Japan's Experience ↗日本銀行 副総裁講演(1999年)
  2. 資産バブルの崩壊と金融システム不安 ↗日本銀行 副総裁講演(2016年)
  3. How Should We Respond to Asset Price Bubbles? ↗米連邦準備制度理事会 FRB(2008年、歴史的分析)
  4. The Structural Causes of Japan's Two Lost Decades ↗経済産業研究所 RIETI(2010年)
  5. 1989年12月29日、日経平均が史上最高値(当時) ↗楽天証券トウシル(2025年12月29日)

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