エジプト西部の砂漠を歩いていると、砂と岩ばかりの大地から、長い背骨が姿を現す。椎骨が一列に並び、その周囲に肋骨が散らばっている。大きな動物が倒れた場所に見えるが、ここに残されているのはクジラの化石だ。海岸から遠く離れた砂漠に、かつて海を泳いでいた動物の骨が横たわっている。
この場所はワディ・アル・ヒタン、アラビア語でクジラの谷を意味する。エジプトの西部砂漠に位置し、2005年にユネスコの世界遺産へ登録された。骨の数や保存状態が優れているだけでなく、化石がもともと埋まっていた地層の中で観察できることにも価値がある。

ワディ・アル・ヒタンの砂漠に露出したクジラの化石。風と侵食が地中の骨を表面へ現した。 写真・出典:Khaled Mokhtar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。
約4000万年前、この地域は浅い海の一部だった。現在の北アフリカとは海岸線も気候も違い、海には魚やサメ、ウミガメなどが暮らしていた。海底に沈んだクジラの死骸は砂や泥に覆われ、長い時間をかけて地層の中へ取り込まれた。その後、海が退き、地層が地表に現れ、侵食によって骨が再び姿を見せるようになった。
化石のなかには、体の長いバシロサウルスや、現在のクジラに近い体形を持つドルドンなどが含まれる。どちらも海の中で暮らしていた古代のクジラだが、その骨格には意外な部分が残っている。体の後ろに小さな脚の骨があったのだ。
現在のクジラは、陸を歩く脚を持たない。ところが約5000万年前の初期のクジラの仲間には、川辺を四本脚で歩く動物がいた。パキケトゥスのような初期の種類から、泳ぎに適した体を持つ種類へと、長い進化の中でさまざまな姿が現れた。ワディ・アル・ヒタンのクジラは、その変化が進んで海での暮らしに適応した時代を伝えている。
バシロサウルスに残っていた小さな後ろ脚は、体重を支えて陸を歩ける大きさではなかった。海で生活する体になっても、祖先から受け継いだ構造の痕跡が残っていたのである。スミソニアン博物館の解説では、骨盤や脚、鼻の位置などが変化していった過程を、複数の種類の化石から紹介している。

ワディ・アル・ヒタンに残されたクジラの骨の化石。岩や砂の中で骨格が保存された。 写真・出典:Bernd Out / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。
クジラが陸上哺乳類から進化したことは、現在の動物のDNAを比べる研究からも裏づけられている。カバなどを含む偶蹄類とクジラには共通祖先がいる。ただし、今生きているカバがクジラへ変わったということではない。共通祖先から枝分かれした系統が、別々の進化を重ねてきた。
広い砂漠の中に骨が並ぶ光景は、地球の表面が長い年月の間に姿を変えることを教えてくれる。同じ場所が海底だった時代には、クジラが泳ぎ、死んだ体が沈んだ。今そこを歩く人の足元には、かつての海の堆積物が広がっている。海に適応した動物の歴史も、海そのものが消えていった土地の歴史も、一つの地層に保存されていた。