1919年1月15日、米国ボストンのノースエンド地区で、工業用の大きなタンクが突然破れた。
中に入っていたのは石油でも水でもない。糖蜜だった。砂糖を製造するときに得られる、粘り気のある濃い液体である。
約870万リットルもの糖蜜が通りへ流れ出し、建物や車両を押し倒した。逃げ遅れた人々が巻き込まれ、21人が死亡、150人が負傷した。

1919年撮影:撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public domain。
なぜ大量の糖蜜が街の中にあったのか
当時の糖蜜は食品だけでなく、発酵させて工業用アルコールを作る原料にも使われていた。ボストン港の近くには、船で運んだ大量の糖蜜を貯めるための巨大タンクが置かれていた。
そのタンクは高さ約18メートル、直径約30メートル。大量の液体の重さを側面の鋼板や接合部が支える必要があった。
1月15日の昼近く、タンクが破裂した。近くの鉄道構造物や建物は被害を受け、救助活動は粘り気のある糖蜜によって難航した。
今日の感覚では、甘い液体が人を殺すほどの波になるというのは想像しにくい。しかし大量に蓄えられた液体は、何であっても大きなエネルギーを持ちうる。粘性が高いことは、流れ出す力が弱いことを意味しない。
事故原因をめぐって争いが起きた
タンクの所有会社は破壊工作の可能性を示唆した。第一次世界大戦後の米国では社会的な緊張が高く、爆発物による攻撃を疑う見方もあった。
しかしマサチューセッツ州の消防当局による後年の資料では、当時の調査官が破片や化学的な痕跡を調べ、爆発物が使われた証拠を見つけなかったことが紹介されている。
事故の責任をめぐって訴訟が続き、建造物の強度や施工の問題が検討された。タンクの構造が液体の重さを十分に支えられなかったことが重大な原因とされた。
甘い液体の事故が、規制を変えた
マサチューセッツ州の公式案内では、この事故の後に、大量の液体を貯蔵する地上タンクを対象とした安全規制が進められたと説明している。
事故の教訓は、糖蜜に特有の話ではない。危険物でなくても、大量に保存すれば容器の破損によって周囲に大きな被害を与えうるということだ。
現在の産業設備では、材料、圧力、強度、検査、設置場所などを検討する。背景には、失敗を経験してから作られた制度もある。
ボストンの糖蜜洪水は、一見すると信じがたい事故の名前で記憶される。しかし21人の命が失われた事実を考えると、その歴史は単なる珍事件ではなく、産業の安全基準がなぜ必要なのかを教える出来事でもある。