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黒死病で働き手が減ったイングランドは、1351年に賃金の上昇を抑える法律を作った

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更新日:2026-10-31

1348年、イングランドにペストが到来した。黒死病として知られる感染症は大きな被害をもたらし、農村にも町にも、働く人の数が急激に減った。

その後、仕事を任せたい地主や雇い主は、以前ほど簡単には人を集められなくなる。働き手が少なければ、労働者はより良い条件を要求できる場合がある。

しかし当時の権力者たちは、賃金が上がるのを歓迎しなかった。1351年、イングランドでは賃金の上昇を抑え、労働者の移動まで制限する法律が作られた。

黒死病を表した15世紀の写本細密画。1348年当時の記録画ではない。作者不詳

黒死病を表した15世紀の写本細密画。1348年当時の記録画ではない。作者不詳 / Wikimedia Commons / Public domain(表示用に縮小)。

生き残った人が有利になることもあった

疫病で働き手が減ると、残った人々の労働は以前より希少になる。地主が畑を耕す人を探しても、簡単には見つからない。隣の地主が高い賃金を提示すれば、労働者はそこで働こうとするかもしれない。

働き手が不足し、賃金が上昇する圧力が生まれた。これは多くの人の生活が改善したという意味ではない。疫病によって家族や地域社会が大きな損害を受けたことは変わらない。人が減った後の労働の需要と供給の関係が変化したのである。

労働者の交渉力が高まる一方、地主や雇い主は以前と同じ賃金で働いてもらいたいと考えた。こうして経済上の対立が、政治と法律の問題になっていく。

1351年の労働者条例は、何を禁止したのか

英国国立公文書館には、**1351年の労働者条例(Statute of Labourers)**の原資料が保存されている。

この法律は、1349年の労働規制を補うものとして制定された。賃金が高くなりすぎないよう上限を設け、働ける人に雇用に就くことを求め、労働者が自由に仕事先を移ることを制限し、他人の使用人を高い賃金で引き抜くことも抑えようとした。

現代の最低賃金制度は、賃金が低くなりすぎないようにするための制度である。これに対して1351年の規制は、賃金が上がりすぎないようにすることを狙っていた。

「働く人を守るための法律」という現代的なイメージとは、政策の方向が大きく異なる。

法律を作れば、賃金は思いどおりになったのか

労働者条例が制定されても、雇い主が働き手を必要とする事情は変わらなかった。人手不足の中では、禁止されていても高い賃金を払おうとする雇い主が現れる。

2025年の経済史研究は、裁判の記録などから、14世紀後半に賃金規制が実際に取り締まられていたことを検討している。労働者が規制を超える賃金を受け取ったとして訴えられた例もあった。

つまり法律は単なる紙の宣言ではなく、実際に執行された。しかし規制に違反する人がいたこと自体、賃金への圧力を法律だけでなくすのは難しかったことを示す。

この時代の労働市場では、疫病で人口が減ったという事実と、地主・王権が秩序を保とうとする力がぶつかっていた。

疫病は社会を変えたが、すべてが一度に自由になったわけではない

黒死病後のイングランドでは、土地を借りる条件や農業労働、賃金などをめぐる関係が長期的に変わった。ただし疫病が終わるとすぐに農民が自由になった、という単純な話ではない。

地域差があり、法律や慣習も残り、労働者の交渉力が強まったからといって支配関係がすぐに消えたわけではない。土地を持つ人と働く人の間には依然として大きな格差があった。

1351年の法律の存在は、労働者が少なくなったときに誰が利益を得るかという問題が、中世から政治の争点だったことを教えてくれる。

数百年後の産業革命でも、工場で働く人々の賃金や時間をめぐって対立が続いた。疫病後の労働者条例と現代の労働法は同じ目的ではないが、労働の値段を誰が決めるのかという問題が繰り返し現れている。

産業革命と工場労働 / 世界経済史

REFERENCES

参考文献・出典

  1. Plague: The Statute of Labourers (1351) ↗The National Archives(英国国立公文書館)
  2. The implementation of national labour legislation in England after the Black Death, 1349–1400 ↗Mark Bailey, Economic History Review (2025)

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