イングランド銀行は現在、英国の中央銀行として金利や金融システムの安定に関わっている。だが、創設された1694年の目的は、フランスとの戦争に必要なお金を集めることだった。
当時のイングランド政府は戦費の調達に苦しんでいた。そこで民間の人々に出資を募り、その資金を政府へ貸し出す新しい会社が作られた。集まった金額は120万ポンド。これがイングランド銀行の始まりである。

1694年の設立勅許の場面を1905年にLady Jane Lindsayが描いた絵画。1694年当時の写真ではない / Wikimedia Commons / Public domain。
国王に貸すのは、銀行にとって危険だった
17世紀のイングランドでは、国王が借りたお金を返さず、貸し手の信頼を傷つけた経験があった。銀行の前身にあたる金匠銀行家などにとって、政府へ大金を貸すことは安全な事業ではなかった。
1690年代、ウィリアム3世の政権は戦争を続けるために資金を必要としていた。だが通常の貸し手から十分な資金を集めるのは難しかった。
そこで商人ウィリアム・パターソンらが提案したのが、多くの出資者から資金を集めて政府へ貸し、代わりに銀行として活動する権利を得る方式だった。
イングランド銀行の公式史によれば、1,268人が11日間で120万ポンドを出資した。出資者には商人や医師、職人、貴族など多様な職業の人々がいた。
借りたお金の利息は、税金で支えられた
政府は銀行から120万ポンドを借り、最初は年8%の利息を支払う仕組みだった。銀行の資金がどのような財源で支えられていたかをたどると、船舶のトン税や物品税などの収入が関わっていたことが分かる。
つまり政府が今すぐ必要とする戦費を、将来の税収を裏付けにして借りる仕組みである。
政府が借り、金融機関が貸し、出資者が資本を提供する。この関係は、国債や国家財政の歴史を考える際の重要な例になった。
ただし設立当初のイングランド銀行は、現在の中央銀行と同じ権限や仕事をすべて持っていたわけではない。紙幣発行や銀行制度への関与は、長い年月の制度改正を通じて変化した。
1694年の借金が、300年後まで残っていた
イングランド銀行は設立時の政府への貸付のその後について、公式資料で数字を公開している。借入残高は歴史の中で増減し、1834年には1,101万5,100ポンドとなった。この額が長く銀行の帳簿に残り、1994年7月に政府が全額返済したと記されている。
もちろんこれは、1694年の最初の120万ポンドだけが一切変化せずに300年間そのまま残っていたという意味ではない。政府と銀行の債務関係がその後変更されながら続き、1994年に清算されたということだ。
300年間続いた会計上の関係を知ると、中央銀行と国家財政の制度が短期間で作られるものではないことが分かる。
銀行が国家に信用を与え、国家が税と法律で銀行を支える。国の金融制度は、その二つの力を結び付けながら成立してきた。