1628年8月10日、ストックホルム。新しい軍艦ヴァーサが、見物人の前で初めての航海に出た。
積んでいた大砲は64門。片側の砲を一斉に撃てば、砲弾の合計重量は約250キログラムに達する。国王グスタフ2世アドルフが海軍に送り込もうとした、強力な軍艦だった。
だが、進めた距離は約1.3キロ。風を受けて船体が傾くと、開いていた砲門から水が流れ込み、数分のうちに海底へ沈んだ。まだ、生まれた造船所が見える場所だった。
30人が走ると、船が危険なほど揺れた
この船には、出航前から不安があった。
ヴァーサ博物館の年表には、船長セーフリング・ハンソンが副提督クラース・フレミングを呼び、安定性を確かめる場面が記されている。方法は、30人の男に甲板の左右を走らせるというもの。人が移動しても、船が傾きすぎずに戻るかを見る試験である。
ところが船は大きく揺れ、副提督は岸壁で沈むことを恐れて試験を中止させた。
その時点で危険は目に見えていた。それでも国王から出航を急がされるなか、航海の命令は取り消されなかった。
大砲の数だけでは、強い軍艦にならない
ヴァーサの火力には、国王の戦い方が表れている。当時は敵船に乗り込んで奪う戦法が重視されていたが、グスタフ2世アドルフは砲撃戦の将来性を見込み、大きく強力な砲を求めた。
ただし、武器を積んだ船が戦うには、まず帆を張って航海できなければならない。ヴァーサは風で傾いた際に姿勢を保つ余裕が乏しく、下の砲門が水面に近づくと、そこが浸水口になった。
博物館によれば、初航海では砲門のうち8か所が空いていた。船を造る方が、大砲を鋳造するより早かったのである。予定の砲がそろう前の船さえ、無事に送り出すことはできなかった。
海底で過ごした約333年
ヴァーサが再び水面に現れたのは1961年。沈没から約333年後だった。
引き揚げられた船は、17世紀の造船を調べる大きな資料になった。だが、海底から出せば保存が終わるわけではない。長く水につかっていた木材には細菌の作用や鉄の腐食に由来する問題が残り、陸上でも劣化を抑える必要がある。
ストックホルムのヴァーサ博物館に立つ巨大な船体は、航海を重ねた末の姿ではない。最初の港を出きることさえできなかった軍艦を、何世紀も後の人々が引き揚げ、支え続けている姿なのである。