子どもが丸めたり、細長く伸ばしたりして遊ぶ小麦粘土、プレイ・ドー。その前身は、大人が壁紙の汚れを落とすために使っていた掃除用品である。

石炭で家を暖めていた時代、壁紙にはすすが付いた。そこで役立ったのが、汚れを取り込む柔らかな練り物だった。1933年、アメリカの石けん会社クトールは、この壁紙クリーナーを食料品店のクローガーへ供給する契約を結ぶ。開発されたのは、小麦粉、水、塩などを使った、粘土のように形を変えられる製品だった。
この商品は会社を約20年にわたって支えた。しかし、家の暖房が変わると、売り上げも落ち始める。
壁が汚れなくなると、商品が売れなくなった
第二次世界大戦後、暖房用の燃料は石炭から石油やガスへ移っていった。壁紙にたまるすすが減れば、専用の掃除用品を買う必要も減る。家庭にとっては喜ばしい変化が、会社には経営の危機となった。
そこへ新しい使い道を持ち込んだのが、教師のケイ・ズフォールだった。彼女の教室では、壁紙クリーナーを工作の材料にしていたのである。柔らかく、幼い子どもの手でも形を作りやすい。会社を率いていたジョセフ・マクヴィッカーが教室を訪れると、その材料で作った作品が並んでいた。
掃除用品としての売れ行きとは関係なく、教室ではすでに好評だった。
工場をそのまま使い、おもちゃへ転身した
会社は配合を調整し、製品を子ども向けに売り出す準備を進めた。既存の設備や製造場所を使えたため、これまで作っていたものの用途を変える形で事業を始められた。
1956年には玩具事業のレインボー・クラフツ社が設立され、プレイ・ドーの名で学校などに販売。翌年には赤、黄、青が加わった。色を混ぜ、押し出し器で形を作るなど、掃除用品のころにはなかった遊び方も広がっていく。
石炭暖房が減ったことで、壁紙クリーナーの市場は縮んだ。一方、その柔らかさを喜ぶ子どもたちはいた。壁をきれいにするために作られた練り物は、教室で形を作る材料になり、やがて玩具売り場に居場所を見つけた。