1856年のロンドン。18歳のウィリアム・ヘンリー・パーキンは、マラリアの治療に使われるキニーネを人工的につくろうとしていた。高価な天然の薬を化学合成できれば、大きな成果になる。しかしフラスコにできたのは、期待した薬ではなく、黒っぽい物質だった。
実験をやり直し、別の原料で試した後、器具をアルコールで洗っていると紫色の液が現れた。パーキンはそれを捨てなかった。絹を染めてみると鮮やかな色が付き、洗っても落ちにくい。薬の合成に失敗した実験が、染料の発見に変わった瞬間だった。
当時、衣服を美しく染めるには植物や動物から得る染料が広く使われていた。色によっては原料を大量に集めなければならず、価格も高かった。パーキンの紫色は、石炭由来の化学原料から製造できた。自然界の限られた材料に頼らず、工場で鮮やかな色をつくる道が開かれた。
ただし、新しい色を発見するだけでは商売にならない。パーキンは特許を取り、家族らと製造法を改良し、1857年には工場を稼働させた。染色業者にも試作品を送り、布地を安定して染められることを確かめてもらった。
やがて紫色の流行が起き、合成染料の競争が始まる。マラリア薬を目指した研究は成功しなかったが、パーキンがフラスコの汚れのように見えるものを調べたことから、衣服の色と化学工業の関係が変わっていった。