ロンドンの金融街で「ロイズ」といえば、世界的な保険市場の名前である。飛行機や船、大規模な事業の特殊な危険まで扱う。ところが、この名前は銀行家でも保険を発明した学者でもなく、17世紀にコーヒー店を経営していたエドワード・ロイドに由来する。
なぜコーヒー店が、保険の世界で何百年も名前を残すことになったのか。
船の消息を知っている店
17世紀末のロンドンは、世界各地へ向かう商船の拠点だった。船一隻には、航海に必要な費用と、商人たちが積み込んだ高価な商品が乗っている。嵐に遭えば積荷は海に沈み、海賊に襲われれば船そのものを失いかねない。
商人や船主には、もう一つ悩みがあった。出港した船がどこにいるのか、簡単にはわからないのだ。大西洋を横断する船へ電話をかけることはできない。港から届く手紙や、帰ってきた船長の話、別の航路を通った人々の噂が重要な情報源だった。
エドワード・ロイドのコーヒー店には、船長、船主、商人が集まった。ロイドは船の出入港などの情報を集め、店が海運業者たちの情報交換所として知られるようになった。1696年には自ら『ロイズ・ニュース』という新聞まで発行した。
店へ行けば、船の消息を知る人に出会える。やがて、航海の損失を一定の料金で引き受ける取引も、その場で行われるようになる。
危険そのものを分け合う商売
保険をかけたい船主と、危険を引き受けて保険料を得たい人がいる。一人で巨大な船の損失を補償するのは難しいが、複数の引受人で分担すれば、それぞれが負う危険を小さくできる。
取引に必要なのは、航路や積荷、船の状態についての確かな情報だ。船の消息が集まるロイズの店は、保険の商談をする場所としても都合がよかった。
時代が下ると、保険を引き受ける人々の組織が整い、店から独立した市場として発展した。1734年には、ロイズの名を使った海運情報紙『ロイズ・リスト』も刊行される。
今のロイズは、一社の保険会社というより、多くの参加者が特殊なリスクを引き受ける保険市場である。その始まりは、大きな港町で商売をする人々が、情報と取引相手を求めて通った一軒のコーヒー店だった。