現在のタンザニアの海岸から離れた小さな島、キルワ・キシワニ。そこには、中国やインド、ペルシアとつながる貿易都市の遺跡がある。
13〜16世紀に栄えたこの港町では、中国の陶磁器、ペルシアの器、インドのビーズなどが扱われた。アフリカの内陸部から集めた金や象牙は、海の向こうへ送られた。

キルワの大モスク内部。撮影:Janetmpurdy(2016年)。画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(表示用に縮小)。
磁器の破片が証明した遠い交易
キルワで発掘された陶磁器の破片には、13〜14世紀の中国、15世紀のベトナム、中東などで作られた物が含まれている。大英博物館は貨幣と貿易の展示で、これらの実物資料を紹介している。
ただし中国製の器がキルワで見つかったからといって、中国の商人が全員その島まで来たことにはならない。商品は多くの商人や船の間を移り、別の港で積み替えられていた可能性がある。
大切なのはアフリカの港町が、アジアの商品を日常の取引に取り入れていたことだ。ヨーロッパの船が喜望峰を回るより前から、インド洋には広い交易圏があった。
町の建物にも交易の証拠が残った
UNESCOによれば、キルワの大モスクは11世紀に建設が始まり、13世紀に大きく拡張された。その一部には中国の陶磁器が装飾として埋め込まれていたという。
さらに1310〜1333年ごろには、フスニ・クブワと呼ばれる宮殿が築かれた。地元のサンゴ石と石灰モルタルを利用した遺構は、海を通じて得た富と、スワヒリ社会の独自の建築文化を伝えている。

キルワの大モスク遺構。撮影:Mnazini(2021年)。画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(表示用に縮小)。
13世紀や14世紀の東アフリカは、外の文明から商品が届くのをただ待っていた場所ではない。地元の商人と都市が、海外との取引を組織し、利益を得ていた。
航海を支えたのは季節風
帆船の航海では、風向きが重要だった。インド洋では季節によって風向きが変わるモンスーンが、商人たちの出港や帰港に影響した。
港町には別の土地から来た人々が滞在し、取引や文化交流が行われた。商品だけでなく、言語、宗教、技術も海を越えて伝わった。
ただし商品の豊かさが、すべての住民の豊かさに直結したわけではない。金や象牙を調達する仕事や、奴隷貿易などを含む社会の不平等も歴史から消してはいけない。
16世紀にポルトガルがインド洋へ進出すると、キルワにも要塞が築かれ、商業や政治の力関係が変わっていった。
キルワの遺跡に残る中国の器は、ひとつの重要な事実を示している。中世の世界経済には、ヨーロッパを通らずに繁栄する交易路がすでにあった。