古代のエジプトでは、神殿で使う水を手に入れるため、硬貨を入れると水が出てくる装置が考えられていた。約2000年前に、現代の自動販売機と共通する仕掛けが記録されていたのである。
その記録を残したのは、アレクサンドリアで活動した数学者・技術者のヘロンだ。彼の著作『気体装置(プネウマティカ)』には、空気や水の圧力、てこの働きを利用して動く装置がいくつも紹介されている。硬貨を使う給水装置もその一つだった。

ヘロンの『気体装置』を伝える1592年刊の書物。古代の技術を記した文献は、後世の写本や刊本によって伝わった。 写真・出典:16世紀の出版者/BEICデジタル図書館 / Wikimedia Commons / Public domain。
仕組みは、硬貨の重さを利用するものだった。上部の投入口から硬貨を落とすと、内部の皿に当たり、皿が下がる。皿に連結されたてこが動き、注ぎ口をふさいでいた弁を持ち上げると、水が流れ出す。やがて硬貨が皿から滑り落ちると、てこが元の位置に戻り、弁が閉じる。
必要なのは水の入った容器と皿、てこ、弁、そして硬貨の重みだ。電池もモーターもいらない。落ちてきた硬貨が弁を開く力となり、皿から外れれば給水が止まる。現代の自販機のように商品を選ぶ機能はないが、硬貨を投入した人に決まった量の水を渡すという仕掛けは、驚くほど明快である。
日本の国立科学博物館がまとめた自動販売機技術の系統化調査でも、この装置は自販機の起源として紹介されている。古いギリシャ語の原本がそのまま残っているわけではなく、後世に伝えられたテキストや刊本から仕組みを知ることができる。発明者がヘロン本人だったのか、それ以前の技術者の考案を紹介したのかも確定していない。
アレクサンドリアでは、このほかにも水や空気で動く機械が考案された。人の手に置いた杯へ酒と水を注ぐ自動人形は、紀元前3世紀ごろの技術者フィロンの設計として伝わっている。自動販売機とは別の装置だが、人がある動作をすると、機械が次の動きを始めるという発想を共有している。

古代ギリシャの技術者フィロンが記した給仕人形を、現代の博物館が復元したもの。ヘロンの聖水自販機とは別の装置。 写真・出典:Eunostos / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。
この聖水供給装置が当時の神殿に何台置かれていたか、実際にどのくらい使われたかは分かっていない。今に残るのは装置の実物ではなく、仕組みを伝える文献と、そこから作られた復元品である。そのため、世界で最初に実用化された自販機と断定するより、現存する古い自動販売装置の記述の一つとして捉えるのが確かだ。
ヘロンの時代から遠く離れた近代になると、切手や書籍、たばこを売る装置が作られ、やがて街に自動販売機が並ぶようになった。硬貨で機械を動かすという古い着想は、そのまま二千年間使われ続けた技術ではない。しかし神殿の水を一定量だけ出すという課題に、重りとてこで応えた人々がいたことは、古代の機械技術の豊かさを伝えている。