1918年12月、イギリスで初めて女性が下院議員に当選した。コンスタンス・マルキエヴィチという政治家だった。
それなのに、彼女はロンドンにある下院の議場へ、一度も議員として出席しなかった。女性だから議場に入れてもらえなかったわけではない。本人が、そこへ行かないことを選んだのである。
理由は、当時のアイルランドをめぐる政治情勢にあった。
女性が初めて立候補できた選挙
20世紀初頭のイギリスでは、女性の投票権をめぐって長年の運動が続いていた。1918年、一定の条件を満たす30歳以上の女性がようやく国政選挙で投票できるようになった。男性の多くが21歳以上で投票できたのとは、まだ大きな違いがあった。
同じ年、女性が下院議員に立候補するための法律も成立した。ただしこちらには、30歳以上という投票権と同じ年齢制限はなかった。21歳以上なら議員を目指せたのである。
12月の総選挙には17人の女性が出馬した。議席を獲得したのは、アイルランドのダブリンで当選したマルキエヴィチ一人だけだった。
当選したのに議場へ行かなかった理由
当時、アイルランドはイギリスの支配下にあり、独立を求める運動が高まっていた。マルキエヴィチは、その独立運動を支持するシン・フェイン党の候補者だった。
シン・フェイン党の方針は、ウェストミンスターのイギリス議会に参加して政治をすることではなかった。当選した議員たちがイギリス議会の議席を拒み、アイルランド自身の議会をつくるというものだった。
1919年、彼らはダブリンで独自の議会を開いた。マルキエヴィチもこの立場を選んだ。選挙の時期には拘束されており、当選を知ったのも自由に選挙運動ができる状況ではなかった。
そのため、イギリス初の女性下院議員となったにもかかわらず、彼女は一度も議場に座らなかった。
最初に実際の議席に座った女性は別人
翌1919年、補欠選挙で当選したナンシー・アスターが、女性として初めてイギリス下院の議席に就いた。
イギリスの議会史では、「初めて当選した女性」と「初めて議席に座った女性」は別人として記録されている。
この違いの背景には、女性参政権の制度だけではなく、アイルランドの独立を求める政治運動があった。女性が議員になれるようになった歴史の最初の一ページに、別の国をつくろうとした人物が登場するのである。