1946年、アメリカのペンシルベニア大学が巨大な電子計算機ENIACを公開した。約1万8000本の真空管を使うこの機械は、部屋を埋め尽くすほどの大きさだった。科学技術の歴史では、開発を主導した男性技術者ジョン・モークリーとJ・プレスパー・エッカートの名前がよく登場する。
では、この機械に実際の計算をさせるため、手順を組み立てたのは誰だったのか。そこには、長い間十分に知られてこなかった6人の女性がいた。
コンピューターは、もともと人間の職業名だった
第二次世界大戦中、アメリカ軍は砲弾の軌道を計算するために多くの人手を必要としていた。角度や距離、風などの条件を考慮し、砲をどう向ければよいのかを調べる仕事だ。大量の数字を計算する人々は「コンピューター」と呼ばれていた。
人間のコンピューターとして働いていた女性たちの中から、ENIACのプログラミングを担う人々が選ばれた。ケイ・マクナルティ、ジーン・バーティック、ベティ・ホルバートン、マーリン・メルツァー、フランシス・スペンス、ルース・タイテルバウムの6人である。
当時のプログラミングは、パソコンの画面に文字を打ち込む仕事ではなかった。計算の順序を決め、装置のどこへどんな信号を渡すのか考え、ケーブルをつなぎ替え、スイッチを設定する。机に座って書いた命令がそのまま動くわけではない。巨大な機械の構造を理解し、計算を機械の配線へ置き換える必要があった。
大きな機械ほど、作業した人の名前が消えた
ENIACの公開時には、機械の速さや巨大さが注目を集めた。しかしその裏でプログラムをつくった女性たちの仕事は、長い間、開発の中心的な成果として紹介されなかった。
当時は電子計算機のプログラミングという職業そのものがまだ形になっていなかった。女性たちの仕事は、単なる機械の操作や補助作業だと誤解されやすかったのである。
後年、歴史研究や当事者の証言を通じて、6人が行っていた仕事の重要性が再評価された。配線をどこにつなぐか決めるのは、すでに十分高度なプログラミングだった。
今のコンピューターは小さな端末やスマートフォンに収まる。けれど、ソフトウェアに何をさせるかを考え、複雑な手順を間違いなく動かす難しさは変わらない。その仕事の初期を担った人々の中に、彼女たちがいた。