1969年、人類初の月面着陸を目指すアポロ11号の宇宙飛行士3人は、打ち上げ前に大量の封筒へ自分たちの名前を書いていた。
有名人がファンのためにサインをするのは珍しくない。だが、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3人には、それとは別の目的があった。
もし月への飛行から帰ってこられなかった場合、遺された家族が署名入りの封筒を売って生活費や教育費に充てられるようにするためだった。
帰れない可能性が現実だった
アポロ11号の飛行は、人類にとって一度も成功例のない挑戦だった。宇宙船を月面へ降ろし、再び飛び立ち、地球まで戻ってくる。そのどこかで重大な事故が起きる可能性を、関係者は理解していた。
当時、宇宙飛行士たちの署名にはすでに人気があった。宇宙開発への関心が非常に高く、直筆サイン入りの郵便封筒は、収集家の間で価値を持ち得た。
3人は打ち上げ前の隔離期間などに封筒へ署名し、家族や知人に託した。関係者は打ち上げ日や月面着陸の日に合わせて郵便局の消印を押し、特別な記念品として残した。
これらは「保険封筒」と呼ばれるようになった。保険会社から一定額が支払われる契約という意味ではない。何かあったときに売却できる価値のある品物を、家族に残そうとしたのである。
署名入りの封筒は売られずに済んだ
1969年7月、アポロ11号は月面着陸に成功し、3人は無事に地球へ帰還した。封筒を生活費のために売る必要はなくなった。
しかし年月がたつと、これらの封筒は宇宙開発史の貴重な収集品として市場に現れるようになった。スミソニアン博物館の国立郵便博物館も、この保険封筒の経緯を紹介している。
宇宙飛行士は、人類の歴史を変える壮大な仕事に向かっていた。同時に家に残す家族の暮らしも心配していた。署名のある封筒は、月面着陸の華やかな記録とは違う、その現実を伝えている。