1942年12月2日、アメリカのシカゴ大学で、49人の科学者らが地下のスカッシュコートに集まっていた。頭上には大学のフットボール競技場の観客席があった。
そこで彼らは、世界で初めて核分裂の連鎖反応を人間の手で持続させる実験に成功した。世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号」の誕生である。
原子力発電所と聞いて思い浮かぶような巨大な冷却設備も、コンクリート製の格納容器もなかった。黒鉛のブロックとウランを積み上げた巨大な構造物が、大学のスポーツ施設の地下に置かれていた。
戦争が計画を急がせた
1938年に核分裂が発見されると、科学者たちは、原子核が割れる際に生まれる中性子が別の原子核を割り、その反応が続く可能性を考えた。
もし反応を適切に制御できれば、原子核のエネルギーを利用できる。一方で、強力な兵器につながるかもしれない。第二次世界大戦のさなか、アメリカではドイツに先んじて研究を進める必要があると考えられ、のちにマンハッタン計画へ発展した。
本来は郊外に実験施設を整える予定もあったが、工事が予定どおり進まなかった。そこでエンリコ・フェルミらは大学構内の使われていないコートで建設を始めた。
連鎖反応が始まっても、光ることはなかった
黒鉛の間にウランを配置し、反応を遅くするための制御棒を使って中性子の数を調整する。制御棒を少しずつ引き抜くと、計器が示す反応の強さが変化していった。
午後3時25分、持続的な連鎖反応が始まった。実験は大きな閃光や爆音を伴わず、静かに成功した。チームはワインで祝杯を挙げ、瓶のわら製の包み紙へ署名を残した。その現物は今も大学に保存されている。
これは現在の原子力発電所と同じものを完成させたという意味ではない。しかし核分裂の反応を制御し、続けられることを実証した。
世界を変える技術の最初の成功は、豪華な研究所ではなく、大学のフットボール場の下にあった古いスポーツ施設で起こった。