北極圏の雪山から、コンクリートの細長い入口だけが突き出ている。ノルウェーのスヴァールバル諸島にある「世界種子貯蔵庫」だ。映画の秘密基地のようだが、ここにしまわれているのは金塊でも兵器でもない。小麦、米、豆など、世界中の農作物の種子である。
世界各国には、作物の品種や野生の近縁種を保存する「ジーンバンク」がある。農業は育てやすい少数の品種に頼りすぎると、病気や気候変動に弱くなりかねない。だから、昔から栽培されてきた品種や珍しい遺伝的特徴を持つ種子も守る必要がある。スヴァールバルの施設は、こうしたジーンバンクが預ける種子のバックアップを保管する場所だ。普段の研究用に自由に取り出す倉庫ではない。
この仕組みが本当に役立ったのは、2015年だった。シリア内戦によってアレッポの遺伝資源保存施設の運営が困難になり、国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)が預けていた種子の返却を求めたのである。その種子を使って、レバノンやモロッコで保存コレクションが再建された。その後、新たに増やした種子の複製も再び北極へ預けられた。
2026年には、世界の134機関から140万以上の種子サンプルが保管されている。北極の寒さは保存に役立つが、施設の維持や温度管理も必要だ。
種子貯蔵庫に預けた種子は、施設のものになるわけではない。返還を受けられるのは預けたジーンバンク自身であり、バックアップの所有と利用に関するルールがある。だからこそ各地の研究機関は、貴重な遺伝資源の複製を安心して預けられる。戦争で一つの施設が機能を失っても、別の場所に種子を残しておくという発想が、実際に農業研究の再建に役立った。
