ハイチ北部の山に立つシタデル・ラフェリエールは、標高約970メートルの場所に築かれた巨大な要塞である。石の壁が険しい山頂を囲み、砲台や兵舎、貯水設備まで備えている。ここへ大量の建材や大砲を運び上げた理由を知るには、ハイチが独立したばかりの時代へ戻らなければならない。
1804年、カリブ海のフランス植民地サン=ドマングは、奴隷制への抵抗と独立戦争を経て、ハイチとして独立した。しかし、ヨーロッパの列強に植民地として支配されてきた国が独立を宣言したからといって、その安全が保証されるわけではない。フランス軍が再び上陸してくる可能性は、独立後の指導者たちにとって切実な問題だった。
アンリ・クリストフらが建設を進めたシタデルは、沿岸の敵を砲撃するためだけの施設ではない。敵が上陸しても、山地に撤退して抵抗を続けるための拠点として構想された。ユネスコの説明によれば、通常は約2000人、必要時には約5000人を収容できる規模で、長期間の籠城に備えた水の貯蔵設備もある。
建設を進めたクリストフは、のちにハイチ北部で国王アンリ1世を名乗った。要塞は自由を守る軍事施設であると同時に、新しい国家の権力を示す巨大建築にもなっていく。独立を勝ち取った国家の歴史が、必ずしも平穏な政治へ一直線に続いたわけではないことも、この建物は思い出させる。
結局、この要塞が想定していたような大規模な再侵攻軍との決戦は起こらなかった。残ったのは、巨大な石壁と、独立直後の人々が抱いていた現実的な恐れを物語る建築である。
