水着の「ビキニ」は、太平洋で核実験が行われた1946年に命名された。海水浴の明るいイメージとは反対に、その言葉の出発点には、核兵器の威力を世界へ誇示した時代の空気がある。
マーシャル諸島のビキニ環礁。1946年、アメリカはこの環礁で核実験を実施した。核兵器の威力を世界中が注目していた、第二次世界大戦直後のことである。
ちょうど同じ年、フランスでは肌の露出が大きな新しい水着が発表された。現在のビキニにつながるデザインを売り出したルイ・レアールは、話題になっていた核実験の地名から、その水着を「ビキニ」と名付けたとされる。水着が社会に与える衝撃を、核爆発になぞらえた宣伝だった。
大胆な宣伝は成功し、ビキニは世界中で知られる名前になった。だが、その裏側にはまったく別の歴史がある。
核実験のため、ビキニ環礁の住民たちは故郷から移住を余儀なくされた。その後も環礁では核実験が続き、環境や住民の生活に長期的な影響を残した。
今日、「ビキニ」という言葉を聞いて、太平洋の核実験場を思い浮かべる人は多くないだろう。ビキニ環礁で核実験は1958年まで繰り返され、住民の故郷への帰還には長期の困難が残った。流行語として海を越えて広まった名前と、島で生きてきた人々に残った現実の影響には、深い落差がある。